死んだはずの人がいて、何事もなかったように話をしている。夢の中の自分は、その人が死んだはずだということを知っている。それなのに、その人が目の前にいることを受け入れている。
その人は記憶の中の(現実の)姿よりふっくらと健康そうで、話す声も明るい。夢の中の自分はそれを、自分の願望がそう見せている、そう作り上げていると感じている。誰かの願望によって人が作られる、そういうこともあるのか。こんなに生き生きと楽しそうにしているなら、それもいいじゃないか。
でもなぜか、それがずっと続くわけではないとも思っている。いつかは現実にすっと寄り添う――いなくなる。だんだん姿が薄れていくんだろうか。それでも、いきなりいなくなるよりはずいぶんいい。
……というヤマもオチもない夢だけど、珍しくはっきり覚えていたので。年を取ってから見る夢は、これが夢であると分かっていて冷静に見ていることが多い気がする。なんでだろうねえ。
2009年12月31日
2009年08月12日
実家日記
お盆により帰省。実家のネット環境は無線LANだと思いこんでいたら有線だった……いつの間にそうしたんだっけ。自分の日記をぐぐるも記録なし。だからあれほど逐一書き残しておけと。
親が自力で有線にするはずもなく、私がそうさせたはずなんだけど、どうがんばっても思い出せない。環境を調べるに、どうもブロードバンドルーターの無線LAN部分がダメになって、代替品購入までのつなぎに有線に戻したっぽい。とここまで来てもやはり推測の域を出ず、ここらへんのやりとりが全く思い出せないことに鬱。最近、要冷蔵品をナチュラルに冷凍庫に放り込むことも結構あるしな……私がボケたら遠慮なく病院でも施設でも放り込んでくれ。とここに書き残しておく。
親が自力で有線にするはずもなく、私がそうさせたはずなんだけど、どうがんばっても思い出せない。環境を調べるに、どうもブロードバンドルーターの無線LAN部分がダメになって、代替品購入までのつなぎに有線に戻したっぽい。とここまで来てもやはり推測の域を出ず、ここらへんのやりとりが全く思い出せないことに鬱。最近、要冷蔵品をナチュラルに冷凍庫に放り込むことも結構あるしな……私がボケたら遠慮なく病院でも施設でも放り込んでくれ。とここに書き残しておく。
posted by 築城 at 07:08| 日記・雑感