■ (紙の)新聞をとるかとらないかの件

テレビ、ゲーム、そして新聞 (日々是雑感)

 ただ自分たち自身は、子どもの頃から当たり前のように新聞を読んでいた。今、「自分の興味・関心に関わらず、必要な情報」をネットから探し出して読めるのは、その経験があるからなのかなあとふと思う。ネットはどうしても、「自分の興味・関心のあること」しか読まなくなるし、また読むためにもマシンの電源を入れ、サイトにアクセスし……と、紙に比して手間がかかる。興味の有無に関わらず世事がある程度まんべんなくピックアップされていて、なおかつ視線を向けるだけで目に入る紙の新聞でないと、そういうリテラシーは育たないのかなと。
と長々飲用しつつ、ずるずると今まで保留になってきたこの件。その間に子はどういうわけか7時のNHKニュースも好んで見るようになり、世事に関心を持ち始めた模様。次は新聞か、やはり新聞なのか。

 でも最近、何となくふっきれた。電源を入れるのが面倒なら、電源入れっぱなしのニュース閲覧専用マシンを作っておけばいい。ニュースサイトをいくつか見ていれば、見出しだけでも「自分が興味・関心のないこと」も目に入ってくるだろうし、同じニュースでも見出しの付け方でずいぶん印象が違うものだと気づいたり(tp6.jpで見比べると結構楽しい)、得るものはあると思う。そもそも、自分たちが“「自分の興味・関心に関わらず、必要な情報」をネットから探し出して読め”ているかどうかだって疑わしいのに……よく言い切ったもんだ。ははは。

 「新聞がない」という自分たちと違う環境で、それがどのような影響を及ぼすのか。その予測がつかないことへの漠然とした不安――つまるところそこなんだろうと思う。でも、自分が子どもの頃と同じ環境になんてできるわけがない。生まれたときからネットとケータイがある人生。白ロムケータイでメールごっこをし、「今日の天気は?」と親のiPhoneを覗きに来る。おもちゃの商品ページを見させておいたら、右向き三角で動画が見られることをいつの間にか知っている。“予測”なんてどだい無理で、できることといえば起きていることを注意深く見守ることと、起きたことへのフォロー。それだけ。うん、新聞とるのはやめたやめた。


 ……なんて方向に気分が向かったのは、今読んでいるのが佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』だからなのか。「上から目線」のマスメディア人がちょこちょこ登場してきて、それはそれでお腹いっぱい。

# ちなみに、その前に読んでいたのは小林弘人『新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に』だったり。こっちはもっとフラットというか、現状と今後を冷静&情熱的に述べている感じ。